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コレクティブ 国家の嘘評論(4)
とかく、社会主義国家は国威にプライオリティを求めがちで、形ばかりの民主化では本質は変わってなかったと言うのが実態だろう。
国も個人も誰も見てない、見ても何も言われないと思うと良識や理性が吹っ飛んでしまうもんなんだろうな、ある種こういう告発ものは必要と思う。
権力と悪みたいな構造の物語ってよくあるけど、
現実でこんなにも人でなしな権力者たち。
誠実さは皆無、次から次に暴かれる事実に言葉もでません。
丸山ゴンザレスさんという方のコメント、
“権力と生活の関わりを描いた本作の問いかけは重い。
これは決して対岸の火事ではない。
「無関心は人を殺す」のである。”
本当にその通りで、わたしたちも政治に関心を持ち
誰を支持するのか、ちゃんと考えなければいけないのだと強く思いました。
オープニング・クレジットの最中、事故の犠牲者の数や経緯を示すテロップが流れたけれどもはっきり言うと稚拙な者にとっては漠然としか理解ができなかったと言える。いやむしろ、どうでもよかった⁉
それが、事故後の指を欠損した女性も出席している被害者の方たちのカンファレンスの中で、男性の息子さんが火災のケガで病院へ搬送されるはずだったのに3日間たらいまわしにされ、感染症で亡くなっている。その理由が...
A communication error. って言い訳にもならない!
そんな会議が終わると... 場面が変わり
訳の分からないヘビメタのロックコンサートの場面のクダラナイ場面を何故流すのかと悪態も吐いていたけど、見ていると歌っていたフロントがひと段落した直後に会場の天井から火花が突然パット光り、そしてすぐに電気系統がブラックアウトし、会場の客の悲鳴とそれを覆いつくすように炎だけが燃え盛り、映し出されるのは人影だけとなり、さらに火の勢いで映像はシャットダウンしてしまう。 この突然の映像が、火災事故の悲惨さと、その後の医療現場の消毒液にまつわるドス黒い政府関係者、病院、製薬会社の繋がりが暴かれていく。
映画とは別に実際の話として、映画の題名にもなっているコンサート会場のナイトクラブ、コレクティブの火災では地元メタルコア・バンドの "Goodbye to Gravity" の5人のメンバーの内、4人が犠牲になっている。
Your source says the formula wasn't charged even after the
fire at "Colectiv(原題)"?
This isn't killing bacteria. It's killing people.
この映画は嫌らしすぎる。それは何故か?
犠牲者の火傷の傷の中のウジをかき回すショットがあるようにこの映画『コレクティブ 国家の嘘』が単にマスコミの日常の英雄への賛美歌であるならば、それは一次元になる危険があり、カンファレンスに出席していた大きな怪我を負ったものの、火事を生き延びた若い建築家、テディ・ウルスレァヌが暗がりで紅をさしていると思っていると人工の手を装着され、傷ついた体を写した印象的な写真のポーズをとる場面では、急なプロット展開となり、暗がりではっきり分からなかった彼女の火災での火傷が突然、あからさまに目に飛び込んでくる。カンファレンスでは頭には布を巻いていたので分からなかったが...
彼女の事故後の火傷と指の多くが欠損しているを目の当たりにして、思わず「やめてくれ!」と心の中で叫んでいた。また、しばらくすると思い出して「やめてくれ!」と... だから一次元的には決してなりはしない。
ドキュメンタリーにはエディターが必ずいるけど、この映画を嫌らしいといったのは、あまりにも3人のエディターの編集が映画のプロット展開をスムーズにし、シナリオのあるモキュメンタリー映画なのかと錯覚するほど静かにして事件の内部まで食い込んで取材をするジャーナリストの活躍をドラマティックなスレッドで描いていた。 わが国では、悲しいかなドキュメンタリーと称しているのに証言者にモザイクをかけたり、声を変えたりしているプライバシー保護なんて言い訳をこの映画では少しも発してはいない。
Tolontan: When the press bows down to the authorities, the
authorities will mistreat the citizens. This has always happened,
worldwide, and it has happened to us. ジャーナリスト、カタリン・トロンタンのラインより
ルーマニア社会の裏と表のある、いわゆるフィクションとノンフィクションの両方の顕在的存在が、この映画では、社会的構造の歪みが生み出す逃げ場のないやるせない宿命論と不条理なユーモアをもって映画製作者が国家規模の腐敗をオオヤケにしている。
弱くて社会の片隅で生きていくしかない貧しい人たちが、理由のない苦しみを味わい、狡猾で権力をかさに富を求める貪欲な金持ちが自然淘汰として無意味なボーダレスになり、最も恐ろしいスキャンダルをルーマニアのジャーナリストが事件の当事者ではない無関心な大衆に投げかけていた。
ジャーナリズムとそれを抑え込む形のない威圧的恐怖として1990年以前のルーマニアには、身寄りのない者を集めて組織だったセクリターテと呼ばれる秘密警察があったが、民主化後の現在でも名前を変えてルーマニア情報庁と呼ばれる組織が後を引き継いでいるのも事実として... この組織もまた秘密警察であるのは間違いがない。
話はそれるけれど... イギリスの犯罪史上記憶にも記録にも残るジェームス・バルガー事件のように加害者がいくら未成年の10才の少年でも実名と顔写真の公開したのは、裁判長が十分に二人の少年の保護が認められたことによる。
バルガー事件は、少年二人の犯罪の特異性もあり、地元住民が護送車に投石をするほど当時としたら事件にかかわった人たちの過熱ぶりが、マスコミも含めて冷静さを失いヒートアップしてしまっていた。
この映画の功罪は、いかにマスコミが冷静な立場で取材をするかをドキュメンタリーとして分かりやすく説明しているところにある。