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さらば友よ プロット フランス 10月20日 1968 台灣上映
さらば夏の光よ プロット 日本 03月13日 1976 台灣上映
さらば愛しき人よ プロット 日本 09月12日 1987 台灣上映
さらば愛しき女よ プロット アメリカ 06月12日 1976 台灣上映
戦場よさらば プロット アメリカ 01月01日 1900 台灣上映
武器よさらば プロット アメリカ 04月05日 1958 台灣上映
さらば、愛の言葉よ評論(18)
ちょっと、観ててクラクラする。
3Dで視覚の遠近をいじっているだけでなく、音の遠近のバランスもかなり意識的に変えている。
そのせいで、理屈がどうのと言う前に、体感的にクラクラする。
視覚と音の遠近を変えていた『闇のあとの光』に似た印象を受けたが、『闇〜』よりも、もっと徹底してやっている。『闇〜』の監督も、ここまでやり切れば良かったのに。思いつくのは簡単だけど、やり切るかどうかの差は大きいと思う。1ショットのイメージの強烈さが、全然違う。
このクラクラ感は、3Dかつ映画館の音響でしか味わえない。家でDVDで観ても、何の事やらさっぱり分からないのではなないか。そういう意味では、映画館で、贅沢で我儘な時間を過ごさせて貰ったなあと思う。
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原題は「Adieu au langage さよなら言語」。
2Dの映画技法=映画言語は、3Dのこの映画では意味をなさない。
だから「さよなら(映画)言語」というタイトルなのかなと思った。
3Dをムリクリ見せられることで、じゃあ今までの2Dってなんだったんだ?と感じさせる。
だから「A dieu au langage 言語の神に」でもあるのかなと思った。
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かつてソシュールは言語には2つの側面があると説いた。
「langue」=文法的・理論的・社会的
「parole」=個人的・体感的
この映画も、理論的=langueでありながら、受ける感じは、最初に書いたように体感的で個人的。paroleな映画だったのではないかと思う。
孤独を貫くのは難しい。
結果としては15分で気分が悪くなり劇場を後にしました。
眼鏡をかけていて、左右の視力に多少バラツキがあるのが余計に悪かったのかと思いますが、いくら眼鏡拭きで綺麗にしても薄く乱反射して曇って見える劇場備え付けの3D用眼鏡をかけていると、全く映画に集中できませんね。
これからは3D映画を観にいくことはないでしょう。
ゴダールのやりたいことは理解できましたし面白いとは思いましたが、専用眼鏡をかける必要のある3D映画はもうやめて欲しいです。
ゴダールの頭の中は、私の様な凡人には全く分からないのですが、目に見えるものではなく目に見えないものの偉大さを表現したいのかなと思います。
詩的で流れる様なフィルムを観ているうちに、テレンス・マリックの作品を思い出しました。