「サタンタンゴ」「ニーチェの馬」などで知られるハンガリーの映画作家タル・ベーラが、罪に絡みとられ破滅していく人々をリアルに描いた人間ドラマ。以降ほとんどのタル・ベーラ作品で脚本を担当する作家クラスナホルカイ・ラースローや音楽のビーグ・ミハーイが初めてそろい、独自のスタイルを確立させた記念碑的作品。荒廃した鉱山の町。夫のいる歌手と不倫しているカーレルは彼女の部屋を訪れるが追い返され、行きつけの酒場へ向かう。酒場の店主はカーレルに小包を運ぶ仕事を依頼するが、町を離れたくないカーレルは知り合いに運ばせようと思いつく。歌手の夫から彼女との関係を問い詰められたカーレルは、夫に小包を運ぶ仕事を持ちかける。
ダムネーション 天罰評論(1)
タル・ベーラという監督さんは、結構な立場でいらっしゃるらしく、母国ハンガリーだけでなく、西側諸国ではマエストロとして高く評価されているらしい。
本作はフィルム・シアター系の作品となっているけど撮影方法を芸術的な観点からみた場合は一見、ブラックなジョークを含んでいるかもしれないけれど観ている側としたら意外と深刻に描写されている。
雨が降り、荒廃した鉱山の町、町が寂れただけでなくそこに住む人たちも朽ちているように内向的で無気力な男が、バーの歌手との嫌悪感のある、執拗な横恋慕のような関係にドップリと浸かり沈んで行くことによって、"Titanic Bar" への定期的に訪れることで少しは陽気さも... 出るわけないか?
敵対的な警告と酔った冗談のような猜疑心からの疑惑、汚職、亭主への裏切り、無知が犯す復讐についての過程で恋人を独り占めすることに熱心で陰湿な独占欲だけを描いたプロットにはただ単純で暗いだけでこの不幸な小さな物語は、静かな絶望の生活に閉じ込められた最終的に色あせる雰囲気作りには、ノウタ・リンリンのあたしの脳みそでは1mmも響いては来ない。
厳粛な、やや斜めから引きで撮影され被写体が見えなくなってもその後も何気ない場所をカメラは左右に動き撮り続けるスパンのモノクローム描写を、人間の生活の本当の姿を作り出し、 自然、およびそれらを明確に具体化する 画像が人間一人一人の存在を大事にし、アコーディオンによる音楽とそれに同期させるようなキューで球を突くときの音がリズムを作り、それが戦後、大げさなフランス製の実存主義的で、どう生きるかを考えることから落ち込んでいることを楽しんでいるように見せ、またはこれを呼び起こす暗いミセラビリズムとして退けるのは必要としても不公平になってしまう。
映画の主題は、最終的には、人間の魂だけでなく、社会の縮小である絶望の灰色のオーラが時々強力であると同時にひねくれた見返りのために頑張る価値があるように見えてしまう。
最も印象的なのは絶対に確実な方向性を表現しているところにあると言えるかもしれない。
始めはもっと抽象的な部分の多いフィルㇺ・アートシアター系の映画と思って観ていたけどプロット展開の遅さにはノウタ・リンリンな者には適当な速度だったのかもしれない。
ただつまらないだけで... ただし、大勢の人たちは絶賛しているけれどものお話⁉