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ナイルの娘 プロット 台湾 08月18日 1990 台灣上映
ライアンの娘 プロット イギリス 04月24日 1971 台灣上映
シャーマンの娘 プロット 日本 11月19日 2022 台灣上映
橋の上の娘 プロット フランス 12月11日 1999 台灣上映
娘の冒険 プロット 日本 11月01日 1958 台灣上映
岡山の娘 プロット 日本 11月15日 2008 台灣上映
延安の娘評論(2)
そのトークで監督が口にされていた「(中国の人たちの)懐の深さ」「市井の人びとの姿」というものが、文化大革命の時代の過酷さ以上に映画から伝わってきた。映画を撮った本人の語りによって、鑑賞後の所感にいち早く具体的な言葉を与えられるという、とても幸せな映画体験となった。
スクリーンに映し出された延安の風景は、その自然ばかりか、人工物までもが乾いたブラウンのグラデーションのみでできている。
緑や水は、強制労働によって作られたダムにしか見ることができない。文革後の長い期間、不遇かこってきた男性が、それでも誇りを失なわない理由を象徴しているのがこのダムだ。
映画はこの男性の視点を通して、生まれてすぐ延安に置き去りにされた若い女性や、文革中に着せられた無実の罪を晴らそうとする中年の男性の姿をとらえている。自分のことは差し置いて、他人のために奔走する姿は誇らしく、彼の信条そのものであるように見える。
市井に生きる中国の人々の、自らの犠牲を厭わぬ利他的な行為には義侠という言葉がぴったり当てはまる。たとえば、「三國志演義」の関羽や張飛の、劉備に対する義侠心は、この中国人の理想なのではないだろうか。
我が国はすでにそうなって久しいが、消費社会が成熟してくると、人々は他人に無関心になり、義侠や義憤など昔話の中の話に思えてくる。中国社会もそのような時代になりつつあるのか、それともまだそのような心情が残っているのか。
かの国の社会の変化は、西欧風の自由への欲求からではなく、彼ら自身が古来身につけてきた義侠心に火が点いた際に、一気に進むのではなかろうか。