不世出のジャズシンガー、ビリー・ホリデイのドキュメンタリー。人種差別と闘い、酒と薬におぼれて身心がボロボロになりながらもステージに立ち続けたビリー・ホリデイだったが、その人生には謎に包まれた部分が多い。そんな彼女の生きざまに共感したジャーナリストのリンダ・リプナック・キュールが、1960年代に10年間かけて関係者にインタビューを重ねた膨大な録音テープが、近年になって発見された。映画は、その貴重な証言テープをもとに構成。トニー・ベネットやカウント・ベイシー、チャールズ・ミンガスといったアーティストから、ビリーのいとこや友人、ポン引き、彼女を逮捕した麻薬捜査官、刑務所の職員など多岐にわたる関係者の証言を通して、知られざるビリーの素顔を明らかにする。また、黒人差別の実態を赤裸々につづって物議をかもした名曲「奇妙な果実」をはじめとしたライブ映像も収録されており、彼女の歌唱シーンを最新技術を駆使したカラー映像でよみがえらせた。「Peter Barakan's Music Film Festival」(2021年7月2~15日=角川シネマ有楽町)で上映。
BILLIE ビリー評論(11)
久々に見た超胸糞悪い映画。
何故なら全く彼女の芸術に対して踏み込んでいるところが無いからだ。
誰でも彼女の私生活が滅茶苦茶だった事くらいは知っている。
それなのに何故彼女がヤ◯マンのセ◯クス中毒で
男も女もいける両刀使いでドMで
薬はやりーの、金には汚いの、男には騙されーの
黒人だから白人に差別されーの、子供の頃にはレ◯プされーの。
まあありとあらゆるどうでもいいと思われる情報をあげられ
そんなゲス野郎だから歌が歌えたんだと言わんばかり。
それどころかベイシー翁やシンバル・レガートの創始者であるパパ・ジョー・ジョーンズをまるで嘘つきや
悪人同然の描き方をした罪は重い。
彼女が根っからのヤ◯マンだろうがヤク中だろうが
彼女の崇高なる芸術に焦点を当てるべきで
そこに全く焦点が当たっていないところが
自分はかなりの欲求不満を感じた。
それにまたこれはレディ・デイの生涯に焦点を与えてはいるが
インタビュアーの人生に掛けてもいて
それが明らかに蛇足。
そもそもレディ・デイをことほど左様に露悪的な仕打ちをしたヤツの生涯なんて聞きたくも無いし
知りたくも無い。
おまけに最後これは誰かにインタビュアーが殺害されたのだと言うしめ方で
おいふざけんな!と制作サイドに一言言ってやりたいほど頭に来た。
ビリーの歌は歌詞を噛み締める。
レスター・ヤングのサックスに影響を受けていると言われるくらいなので
歌い方は非常にシンプルでゆったりした歌い方をする。
その歌い上げ方はレスター・ヤングそのものと言っていいほど似てる。
ただ彼と違うのは歌詞をまるで1音1音を口に含めるかの様に歌詞を噛み締める。
そこが彼女の真骨頂であるのに
時折彼女の歌うシーンが挿入されるだけで
彼女の何処が素晴らしいかとか
普段の生活はボロボロでも彼女の歌は燦然と光り輝いていたと言う言葉が欲しかった。
晩年のベイシー楽団との演奏「言い訳しないで」では
クスリ着けなのかろくに食事も取ってないから痩せ細って妙に老けた姿と
酒焼けして皺枯れたのか彼女の声が聞こえる。
左様にコンディションは最悪なのに
彼女の悲しいほどの可憐な恋心が聞こえてくる。
「貴方言い訳はしないで。わたしが貴方を愛してるのは知ってるんでしょ?他に女がいるのは知ってるのよ。でもそれでいいの。貴方がいてくれればそれだけでいいの。でも言い訳されると私が惨めになっちゃう。だから言い訳しないで!。」
最後にピシャリとDon't Explain!と彼女は言い放つ。
それを聞くと此方がドキリとする。
「奇妙な果実」も名唱ではあるけれど
黒人が人種差別されたと言う話とグロテスクな歌詞の内容ばかりで辟易する。
確かに彼らは差別をされただろう。
でもそれと同時に彼らの作り上げた音楽は輝きを放っていた事には間違いない。
何故その差別されたと言う方ばかりを取り上げて
彼らの偉大な芸術に光を当てないのだろうか?
彼らは別に差別されたからジャズができる様になったわけではない。
そこがなんともイライラしてきてたまらないのだった。
正直映画の出来は一つ星でいいと思う。
しかし意外とふんだんにビリーの歌唱シーンは使われている。
そこだけは良かった。
イライラしてるとまるでオアシスの様に彼女の歌が挿入される。
ほっと一息つくと「彼女はヤ◯マンで薬中だった。」みたいな話の連続。
久々映画を見て怒りを覚えた。
なお文章中不適切な表現があると思うが
「ビリーはBitchでSex Addict」みたいな書き方では伝わらないと思った為に
敢えて日本語で近い言葉を選んだ。
他に他意はない。
許して欲しい。