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コレヒドール戦記 プロット アメリカ 10月22日 1954 台灣上映
ビーチレッド戦記 プロット アメリカ 11月18日 1967 台灣上映
戦場記者 プロット 日本 12月16日 2022 台灣上映
ブレイブ 群青戦記 プロット 日本 03月12日 2021 台灣上映
セイバー+ゼンカイジャー スーパーヒーロー戦記 プロット 日本 07月22日 2021 台灣上映
記憶の戦争 プロット 韓国 11月06日 2021 台灣上映
ゲド戦記評論(20)
作者の落胆ぶりも尋常じゃないよね。
先ずは原作にドップリ寄り添うとすれば
ストーリーを起承転結で分けてシリーズ
化しないと無理じゃないか?と思います
が。
去年やってたドラゴンクエストと同じで
映画1本でまとめられないし、話も変わ
ってアレッ?て思う映画なんていっぱい
あるからね。
原作を知らない私としては、ゲド戦記と
いう1映画作品として観て良かったと思
います。
ジブリ作品リバイバル上映として初めて鑑賞した。
自分の創造力の乏しさや理解力の乏しさもあるんだろうけどこの作品の世界観やらなにもかもが理解が追いつかず苦しい時間となった。
映画作品全てが単純明快であれば楽しいというわけではないが、この作品に至っては複雑すぎてその割には明確なシーンが最後までなくなにを描きたいのかがわからなかった。
例えばアレンの父親殺しはこの作品上では強い意味を成さないのかもしれないが、例えばなぜ殺したのかわからなかったりすると苦しもがく姿に共感が生まれず、ただただ逃げ回ってる姿にみえ鬱陶しく感じる。
ハイタカやテルーなんかも同じ。潜在能力がイマイチわからないため彼らのキャラの意味や存在価値が最後までわからず彼らの行動や言動になにも共感が生まれなかった。
命は大切に。終わりがあるから限りある命を大切に一生懸命生きるんだ。良いメッセージは度々あるのだが、彼らの真なる気持ちが分からない以上これらの言葉も特に心に響かない。
個人的には心の闇を大きくしてしまうと、その闇に飲み込まれ今生きる自分を失う的なメッセージがここの作品には込められてるのかなと勝手ながら捉えて一応観ていたが、結局最後までキャラクターの魅力を感じられず退屈な時間となった。
「一生に一度は、映画館でジブリを」っという宣伝文句にまんまと釣られて観に行ってきた「ゲド戦記」。悪い噂はチラホラ聞いていたのですが、4作品公開で3作品観てしまったら、そりゃぁ最後の1作も観たくなりますよね?
で、率直にいうと面白くはなかったです。なんとも中二病全快のストーリーでした。原作小説が1972年発行なので当時は新しかった内容かも知れませんが今観ると痛いです。いきなり原作の3巻を映画化しているので、長い物語の途中からで世界観もよくわかりません。演出も微妙でずっと盛り上がる所がないので観てて眠気をさそわれます。
声優に俳優を使ってるだけあって、全体的に違和感があるのですが、中でもヒロインのテルーの声が突出して下手い!・・・と思ったのですが、中の人の手嶌葵が福岡県出身だったので、同郷の身としては大目に見とかんといかんかなっと思いました。
正直本作は全然好きになれなかったのですが、観た後で検索していたら宮崎吾朗監督は嫌いになれないんですよね。ネットで調べてて、岡田斗司夫さんというアニメ研究者の方が話してた本作が作られるまでの経緯が面白かったので紹介させて頂きます。
元々宮崎駿監督が作りたがっていて、原作者アーシュラ・K・ル=グウィンに何度もお願いしていたのだか、ずっと断られていた。
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後年になって原作者のアーシュラさんが有名になった宮崎駿作品を観て、気が変わってジブリに映画化OKしてくれた。
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その頃には宮崎駿は高齢になっていて、もう監督をやる元気がなくなっていて、「俺が監督できないなら誰もできないので断れ」とジブリ側に通達。
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ジブリ側のプロデューサー鈴木敏夫はせっかくの機会なので作りたかったが、宮崎駿が作りたかった映画を他の監督にやらせると駿が「そこはこうじゃない、お前はわかってない」等ボロクソにツッコミを入れてくるので、おいそれと他の監督には任せられない。
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そこで駿に幼少の頃からボロクソに言われ続けて育ち、駿に抗体がある息子の吾朗に白羽の矢を立てた。
という流れのようです。息子が監督するようになった原因は駿監督にありますね。正直アニメ監督って何処までの仕事をしているのかはわかりませんが、吾朗監督は鈴木プロデューサーから抜擢されて、初めて作った割には頑張ったのではないでしょうか?鈴木プロデューサーも批判されがちですが、ワガママな天才とずっと付き合いつつ、会社を上手い事回すのは大変な事だと思います。
と言うわけで個人的に映画は面白くなくても、ワガママな父親の代わりに頑張った吾朗監督は嫌いになれません。今後も頑張って欲しいものです。ちなみに原作者に吾朗が監督する事を伝えに行った時に、批判する原作者を説得したのは原作者の息子だったらしく、後に鈴木プロデューサーがこう言ってたそうです。
「天才の息子はいいヤツだ」と。
最初は低評価だったので見るつもりはなかったものの、他の3作品を映画館で見たので、勢いで鑑賞。
つまらないとか、色々書かれていたので期待しないで見ました。
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テルーが実は竜だった、という設定は、ちゃんと説明さえしてくれたら良かったのに、惜しいなという印象。
おおまかなメッセージは良いんです。不老不死を願うんじゃなく、今ある限りある命を大切に思うことが大事って言いたいんだと思うし、それは良い。
心に闇を抱えてしまって、幽体離脱?っぽくなったり生きる怖さ故に自分でも訳のわからないことをしてしまうとか、それもまぁ有りうるかもしれないので、アレンの不安定さも一応よしとします。
残念なのは、
「竜が人間の住む領域に姿を現すなんて、ただごとじゃない!」
という設定なら、そことテルーの存在の整合性をきちんと説明しないとアウト。
冒頭で、つい最近、海に竜2匹が現れて共食いしていました。
でも実は竜だったテルーは10代後半くらい?の少女。仮に竜として生まれて普段は人間の姿で暮らしてるなら、もう10年以上、竜と人が共存してることになってしまい、「今は共存していない」という城で王に家臣が話してた、この世界の設定に矛盾します。
もしかしたら、テルーは幼少期はただの人間の女の子だったけど、ごく最近?または今回の、クモに首を締められて生死の境に瀕して初めて竜が宿った?あるいは人間としては死んだけど竜になって蘇った???のか。。?もしれませんが、倒れたあとあっさり竜となり、ここで全く説明無し。とにかくこれが最大の謎で、見ててモヤモヤ。
原作を何も読んでない私のような観客も行くので、映画だけで最低限の筋書きは説明するべき。これが無いのでテルーが竜になって、クモは倒すしまた幸せに暮らすし、っていうハッピーエンドを素直に受け入れられなくて残念。。
あと設定として気になったのは、「真の名前」が重要というのは千と千尋の神隠しと同じ。原作がそうだったなら、何も同じ設定の話を映画化しなくてもなぁ、と少し残念。人が竜に変わり、また人の姿に戻る場面、テルーが千と千尋のハクに思えてしまいました。パクったわけじゃないんだろうけど、状況が似ててなんだか残念。
敢えて評価するなら
「力を持つ者は、世界のバランスを保つためにそんなに簡単に力(作中では魔法、現代なら科学?核兵器?)を使ってはならない」という教え。
テルーの竜設定をきちんと説明したうえで、このあたりを深く掘り下げられたらもう少し高評価の映画になりそうだったので、それが惜しいです。
2020-110