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海辺の映画館 キネマの玉手箱評論(20)
野蛮開発と僕は呼びます
中原中也「野卑時代」
海辺の映画館、観てきました。
ピカとドン。
この2つの時間差で生死が分かれた。
ピカっと光っただけの爆心地にいたひとは即死で、ドンの音まできいたひとは原爆後遺症で苦しみながら遅れて死んでいく。
そんな8月6日の広島でのクライマックスを迎えるまでの映画のストーリーは、ピカという言葉だけが暗号のように出てきて、それが広島だとわからないくらい、爺ファンタこと高橋幸広が操縦する宇宙船から俯瞰して地球とその上で殺戮をくり返す人間の戦争時代を、タイムマシーンで行ったり来たりしながら、ハチャメチャに展開していく戦争ファンタジー映画なのだ。
本来の公開日は4月10日だったが、コロナ禍で延期となり、奇しくもその日が大林宣彦監督の命日となった意味。
プランデミックの煽りを受けた映画館も軒並み低迷し、やっと再開して7月31日に公開。
その6日目の8月5日にやっと観ることができた。
翌6日が最終日だったので混むかもと、たまたま観た日が、広島の前日だったため、映画の後半からまったく同じ、広島の前日の状況をシンクロしながら体感することになった。
この映画は、尾道三部作でわたしの何分の一ができてるくらい、時かけ転校生さびしんぼうが青春時代とまるかぶりな80年代に大影響を受けたのち、しばらく大林映画から遠ざかり、やっと最近の戦争三部作の花筐で久しぶりに映画のよさを味わったわたしにとって、それまで観た大林映画のすべての要素を、命の限界に達しながらも極限のエネルギーで調和した、集大成という言葉を超えた、時代のエネルギーが凝縮して映画になったかのような、大林映画史上最大級の、日本映画史上でも巨匠黒澤明の夢なんて遙かに超えた3時間の超大作に仕上がっていた。
一言でいうと、まったく説明できん、レビューなど書けるような映画ではなかった。
冒頭に示したような中原中也の詞が、1世紀も前とは思えないリアルな言葉として挿入される。
戦争反対を露骨に表現するでなく、当時の人がいかに戦争の狂気に染まり、否が応でも忠誠心や誰かのための美意識で命を捨てていき、江戸末期から明治の戦いから世界大戦へと、どんどん狂っていく姿はもう誰も止められない。
それをただ表現した映画を、鑑賞者が傍観することが、あの時代に、ただ時代を傍観して、だれも自分事にしなかったから戦争になったのだという監督の慈悲深い想いから、この映画では、映画の中の映画に、映画館の観客が上映されてる戦争映画特集のスクリーンの中へ入っていく。
映画は、監督の完パケでなく、観客が能動的に変えていかなければならない。
ハッピーエンドのない映画を、自分たちで変えていかなければならないのです。
映像は大林監督らしいチープな映像処理が飛び交いますが、それはいかにもリアルな映像だと傍観してしまうので、あえてリアリティを排除し、誰もが映画の中に入り込める余裕をもたせ、いったいこれは映画の中側なのか、映画の外側の世界なのかわからなくさせる大林マジックなのです。
出演者の俳優のことや、ミュージカルタッチの数々の歌のことや、書きたい要素が細かくたくさんありすぎて端折っても、こんなに書いてしまいました。
すべていいです。
悪いとこ気に入らないとこが一切ない、純文学映画。
戦争は映画から学ぶしかない。
それは映画にしかできないと。
今はあのときのようにとても危険な時代だと。
時代の傍観者にならず、自分で考えれば戦争になどならないと。
だからこそ、監督はこの作品を遺作となっても、死んででも作り上げたかった。
あと30年は映画を作りたいといって、作り上げたのです。
こんなセリフもあった。
恋人を選ぶときのように、平和を見つけなさいと。
今の平和は、真剣に選んでないよね。
監督は、こんなすげえ映画を残して天国へいっちまった。
死んだんじゃなくて、映画の中で永遠に生きつづけ、僕らを応援してくれてる。
大林宣彦監督、ありがとう。
今日は8月6日、広島の日。
8時15分に黙祷します。
自宅での鑑賞が続いていたので、多くの作品は、わざわざ映画館で見なくてもいいのではないかしらん、と思うようになってきた今日この頃ですが、さすがに大林宣彦監督の遺作のこの作品を見逃すわけにはまいりません。
尾道唯一の映画館、それは海辺にある古いコヤの「瀬戸内キネマ」。
ピカと稲妻が光り、ドンと雷鳴轟く嵐の中、最終日を迎えることになった。
最後の上映プログラムは「日本の戦争」映画大特集オールナイト上映。
映画を観ていた3人の若者、突然スクリーンの世界にスリップイン!
そこでみた「映画の真実」「日本の戦争の真実」とは・・・
といったハナシだけれど、オープニングから面食らう観客が続出するかもしれない。
先に書いたあらすじに入る前に、監督の分身ような(でもそうでないような)高橋幸宏「爺・ファンタ」が宇宙船に乗って登場し、何が始まるのか、もうてんで予想がつかない。
大林監督の妄想の大爆発なのだが、今回ばかりは妄想ではなかった。
映し出される映像は、おもちゃ箱をひっくり返しても、こうはいかないと思うぐらいのカラフルさ。
で、かつ、(一見)脈絡のなさ。
けれども、「日本の戦争の真実」が描かれている。
戦争といえば、太平洋戦争・・・というのではなく、幕末の戊辰戦争から描かれており、「日本の戦争」がそこから始まったと監督がみていることがよくわかる。
勝ったのは官軍、薩長とはいうもの、実は長州のひとり勝ち。
太平洋戦争で米国に日本は負けたけれど、長州のひとり勝ちは変わっていないんじゃないの、それはいまも続いているのじゃ何か知らんと訝っている。
映画は、時代も物語も登場人物もなにもかも縦横無尽に行き来する。
かつて、大林監督が言っていたことで印象的な事があります。
「映画というものは、止まっている画を動いているようにみせるものなんだけれども、画が写っているのと同じ時間だけ、画と画の間で閉じているシャッターの暗闇を観ているんです。暗闇の間は何も見ていないのではなく、実は、暗闇の中で自分自身を視ているんです」
暗闇の中で視る自分自身、自分自身の心・・・
一見、騒々しく取り留めのない煌びやかな画の連続だけれども、暗闇の中で自分自身と相対する・・・
大林監督、ありがとう!
でも、ひとつだけ文句を付けると、「ハッピーエンド」ではなく、「to be continued... and be happy」がいいと思うんですけど。
なお、後半登場する沖縄のエピソードでは涙が止まりませんでした。
尾道、広島を愛した、大林監督の全てを映像にした作品です。反戦を声高に口にしては、いないけど、大林監督が広島を大切にするに、当たり、必然的な要素ですね。
映画好きが純粋に映画監督を職業にした人だと。凄く感じました。
単純に世界大戦だけでなく、過去の殺戮も描き、それがどれほど醜い行為なのかを決して固すぎずにストーリー展開をするのは見事。さすがといっていい。
その中の言葉、結局自国民同士が殺りくしてしまう、愛する人も失う、そして日本人の特徴である付和雷同という言葉が特に突き刺さります。
沢山の有名どころの俳優が参加しています。長い間監督業をされているかも知れませんが、たぶんこのテーマに共感されての参加ではないかと思います。
日本人は特に、また世界の人にも伝えて欲しい、そんな映画です。
エンターテイメントではございません。でも観るべき映画だと思います。
ぜひ観て観てください。
被爆によってほとんどの団員が亡くなった実在の移動劇団、桜隊を扱っているということで、8月6日に合わせて鑑賞。
何度か予告を観ていたので、題名通り玉手箱のようにいろいろな技巧を凝らした作品なんだろうなー、と想像しつつ、「大丈夫、唐突に宇宙の誕生まで話が飛んじゃう、あの『ツリー・オブ・ライフ』(2011)を観ることができたんだもの!」という妙な自信と共に鑑賞開始。しかしぶっ飛んでいると思ってたあの予告は、実は本作の中でも「見やすい場面」をつないだものだった!あの『ロボコン』もぶっ飛ぶ突飛な導入部に、たちまち打ちのめされました。ただこの一見奇抜な設定も、監督なりの意図を込めたものであることは、結末近い会話によって明らかになります。
本作が劇場長編映画初出演となる吉田玲さんは、その凜とした顔立ちと存在感が素晴らしく、めまぐるしい映像において静的な印象の強い彼女の姿は、むしろ目を引きます。吉田さんの姿がなければ、画面全体の慌ただしさにさすがに辟易していたかも…。これも大林監督の演出上の采配だと思いますが、このあたりはさすがのバランス感覚。
洪水のような映像が約二時間展開した後、桜隊の場面になって物語は急速に収斂し、映像も通常の劇映画としての落ち着きを取り戻します。やがて登場人物の役割や物語構造が見え始め、これまでの一見奇抜なだけに思えた映像の断片が繋がっていくさまは圧巻でした。そしてこの出来事は、まさに75年前の本日(8月6日)あったことなんだと…、劇場の闇に沈み込むような感覚を持ちました。
本作の主題は、大林監督の化身であろう登場人物達が繰り返し口にしているため、実は非常に明確です。
・「嘘(映画的語り)」であっても「まこと(理想の未来)」をもたらす可能性がある。
・誰かが覚えている限り、人は生き続ける。
・軍靴(暗い未来)が忍び寄る中で、君(観客)はどうふるまうのか。
主人公三人は映画の世界に入り込み、映画の技術史をなぞるという『ユリシーズ』的冒険を経て、このテーマを浮かび上がらせていきます。特に観客自身の振る舞いを問いかける最後のメッセージは、度々登場する憲兵の姿と共に強烈な印象を残します。とはいえ『花筐』の最後に見せたような観客に突きつける鋭さはありません。むしろ、現世から去りゆく父(映画の端々に、監督自身の死の意識が垣間見える)と、これから生き続ける娘の会話という形で、あくまでも穏やか、かつ優しい口調で表現されます。これは恐らく、監督から娘・千茱萸さんへの作品を通じた愛情表現でもあるんだろうなー、と思い、ここでも何とも言えない感慨がこみ上げてきました。
誰にとっても観やすい映画、では決してないし、観通す上で相当なエネルギーを必要としますが、今観るべき価値のある作品であることは間違いありません。
監督の言葉通り、本作のエンドマークはお預けです。物語の続きは観客一人ひとりに委ねられました!