靴ひも
プロット
イスラエル
10月17日 2020 台灣上映
少女☆歌劇 レヴュー・スタァライト ロンド・ロンド・ロンド
プロット
日本
08月07日 2020 台灣上映
もうひとつのラブストーリー
プロット
イギリス・アメリカ合作
01月01日 1900 台灣上映
木靴の樹
プロット
イタリア
03月26日 2016 台灣上映
絹の靴下
プロット
アメリカ
02月13日 1958 台灣上映
もうひとつの人生
プロット
日本
02月17日 1996 台灣上映
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靴ひものロンド評論(20)
人間たち?
自分の倫理観だと、どーでもいいや。
イタリアとかフランスとか、自分の下半身の欲望が人生に優先するって、どうにもなじめないですわ。
もしも、自分の妻より好きになった女性が出来たなら、浮気が先ではなく、まず別れてからの肉体関係でしょ、けじめつけろよとしか思わず。
また浮気された奥さんも、憎しみ合って傷つけ合う状態で一緒にいるのは、人生にとって損しかないわけで、とっとと別れて慰謝料をぶんどれと。
なのに別れずにグダグダと。
そんな環境に置かれた子どもたちが、かわいそうでした。
あほらしいお話。
それぞれの視点があって成程なぁと思ったけど、行動には責任が伴う訳で、その責任を取らない、先延ばしにしてる、男性視点から見た都合のいい、言い訳作品なのかな。
最後まで観ると結末は…
イタリア映画って詳しくないんですけど、こんな皮肉っぽいんですかね?
なんかタランティーノが浮かんだ。
話の落としどこ、終わり方、がタランティーノっぽいな…と。
エンドロールで流れる曲もオシャレな曲で、この結末に、とても合ってるし、エンドロール自体オシャレです。
歪んだ家族関係…
アイロニカルな映画です。
奥さん役の人は『3つの鍵』にも出てて、同じく奥さん役です。
なので、たまに、2つの映画を混同します(笑)
オレは同じ日に観ました(笑)
この映画の主人公を考えるとまさに対極的な昔の銀幕に輝いていた人をふと思い出した。
多くの女性から愛され、別れ際の爽やかさは「立つ鳥跡を濁さず」という言葉が彼の為にあるようなもので、彼は全ての財産を別れの時に女性に渡したと聞く。その上、他のエピソードでは家に盗っ人が入っても家人に「警察に通報するな」と念押しをしたエピソードも残っている。それは何故なのか?
それはさておき、自分の妻である一人の女性に...
“What am I supposed to do?” なんて言わせてしまう映画の発端にもなった行き過ぎた正直者の男性を全拒否する。全拒否って、一人でこんな事を言ったとしても相手にされないのは分かっていても!?
でも映画も進み、終わりごろには何故か?夫のアルドという人が年を取ったせいもあって、憎めないオモシロ・キャラに変身している。
父親と子供2人とのカフェテリアでの一見他愛もない会話のようで...
Anna: Is it true you taught him to tie his shoelaces?
Sandro: No one ties his shoelaces the way I do.
Aldo: And how do you tie them?
Anna: It's ridiculous how he ties them. I can't believe you do the same.
Aldo: I think I tie my shoelaces like everyone else.
Sandro: No.
Anna: Show us.
Aldo: You want to see how I tie my shoelaces?
Anna: Yes.
あなたはこんな事を母親から言われたことはないだろうか?
「最近のあなた、どこかしらお父さんに似てきたわね!?」なんてね? それを聞いた瞬間、母親にテンゴ(方言です。失礼)するつもりはないけれども「イラっと」させられた。
それはこの映画では"ある癖"が象徴し共有している。
映画のタイトルの「ひも」という言葉は、皆さんが想像するように結びつける絆を示しており、その事が反って、結婚の絆から逃れたいというアルドの自己中な願望を呼び起こしている。つまり映画『靴ひものロンド』のメイン・テーマと考えられるのは究極的には "感情の抑制の必要性と相反する束縛から解放され自由になる必然性" に関するものでアルドが娘に靴の結び方を教える事がラストに登場するからくり箱が"束縛"を意味するメタファーの為にアルドがオロオロとしてしまう滑稽なシーンへと繋がっている。
この作品は中盤から、1980年代のヴァンダ、アルドの若夫婦と彼らの長女が小学校3年生で弟は1年生というセット・アップの基本的な時間軸とその2年後、そして、彼らが年を取った現在の3つの時間軸をノン・リニア・ナラティブ(非線形の語り口)で彼ら夫婦の3つの時代背景を映し、同時に時間が前後し、しかもワン・ショットだけのシーンもあるので時代の映り方と夫アルドが優位なところや妻ヴァンダの立場が逆転するところなどそれぞれの時間軸を娘のアンナを含めた3人の登場人物の視点より話の色どりとして描かれているのでノン・リニア・ナラティブの持つ時間があちこち行くことへのシナリオの分かり難くなりがちな欠点をこの映画製作者はそれをうまく回避している。
日本の夫婦は年を取れば会話がなくなるというらしい。でもこのイタリアの夫婦は口喧嘩をしているわりには結構仲がいいのかもしれない。むかし、日本の巨匠の時代劇に年を取った女が自分の色男を繋ぎ止めておくために自分の実の娘をその男の連れ合いにさせたスレッドがあったけど、人の心をもてあそぶ様子だけを取り上げれば、そのようにあたしには映っていた。だから...
確かに夫婦がメイン・キャストであるのは確かな事でもサブ・プロットの関係から、アンナの立場がよりウエートがあるようにも見える。彼ら父親と母親が路上で喧嘩をする様子を不安げに車の中から見つめるアンナ... 『ゴッドファーザー』や日本の巨匠と呼ばれた監督も敢えて人の声を無音にしたように、このシーンは残酷すぎる。それとエキセントリックになった母親を見て、その母親が気掛かりな為にアンナが嘔吐をしてしまうところは、悲しすぎる。
映画もラスト近くになると... 中年太りのアンナの告白... ████の部分は賢明な方はモロにお分かりでもあまりにもネタバレになるので... お許しください。
████. The first time I saw her... something snapped. I thought:
"She's so beautiful, she's so beautiful! When I grow up, I want to be
just like her!" I realised I no longer wanted to be like ████. I've
always felt guilty for thinking that. I knew he was cheating on her, but
I wanted to shout out, "Dad, ████, take me for a walk with you. I
want to come with you. I don't want to stay with ████, she scares
me."
あの白昼堂々と道端で夫婦喧嘩をしている様子を車から不安そうに見守っていた9才のアンナが実は... それとは別の事を考え、しかも大人になってからは彼女は自分の子供を持たない決心をその時したのではないかと思える印象に残るシーンとして!?
最後にアルド、ヴァンダ彼ら年老いた夫婦はちゃぶ台返しのような復讐をされる羽目になる。このことより映画全体のトーンが低くても最後にはコメディとしてカタルシスは開放されている。
余談として... ニューヨーク・タイムズがスタルノーネが書いた原作本をベタ惚れという事で2017年の記事より
“Ties” is not only the leanest, most understated and emotionally
powerful novel by Domenico Starnone — the least internationally
known of Italy’s leading novelists, a self-aware postmodernist in
the Italo Calvino vein with a penchant for literary jokes and
meta-narratives — it is also a key text in that burning literary mystery:
Who is behind the pseudonymous novelist Elena Ferrante?
”meta-narratives”って聞き慣れない言葉が褒め言葉なのかもしれない。あまり意味が分かりませんけど... 何か?
しかし、原作者とされるスタルノーネってこの人、女性の名前で出版しているせいもあって、ミステリアスな作家と言われているけど、それよりも彼の風貌から変態の臭いがする... 失礼しました。CMではありませんけどあくまでも個人の感想なので?
ところで水木しげるの漫画にも登場した銀幕のスターが家人に「警察に通報するな」と念を押した理由は、彼に言わせると「折角ゼニつかんで喜んでるはるのに、気の毒やさかい」in 京都弁
愛人の元を去り、家庭に戻ったがお互い愛情はなくなり、仮面夫婦を続ける。子供達は幸せな家庭をもつことは出来なかったようだ。親の責任だ。その報いを受けることとなる。観ていて辛い映画だ。