ジュエルに気をつけろ!
プロット
アメリカ
05月12日 2001 台灣上映
右側に気をつけろ
プロット
フランス
01月28日 1989 台灣上映
左側に気をつけろ
プロット
フランス
04月19日 2014 台灣上映
おじさんに気をつけろ!
プロット
アメリカ
01月01日 1900 台灣上映
怪奇タクシー 風の夜道に気をつけろ!
プロット
日本
08月05日 2022 台灣上映
愛に気づけば…
プロット
アメリカ
11月23日 1994 台灣上映
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愛国者に気をつけろ!鈴木邦男評論(2)
でもね、鈴木さんの顔見た?
齢(よわい)を重ねてあんな顔になれるなんて、どれだけ素晴らしい人なのかぐちゃぐちゃ言わなくても分かっともらえると思う!
ほとんど慈悲の心で民を守り導いてくれる仏さまのようなお顔です。
顔ってどんなに高貴な顔に美容整形しても、元々が「品性下劣な人」なら目に下劣な品性の光が宿ってしまうそうな。
そういえば、アカデミー賞を取ったチャーチルの特殊メイクでもアップの時に「あ!ゲーリーオールドマンの目だ!」って分かったでしょう?
右からぐるっと回っての愛国者の鈴木さんと、左からぐるっと回っての真の愛国者の私、おんなじ所に立ってます。
トランプのポチ君になって、ちょびっとのジャーキー欲しさに愛想を振り撒くA君は何なんだろ?
私達真の愛国者は「お前は売国奴か?!」と情けなくなってしまうのです。
鈴木さんやっぱり食べ物がいまいちだからなんでしょうか、年取っちゃいましたね。柔道だけではダメですよ。鈴木ガールズの皆様よろしくお願いいたします。
日本の良識、宝ですから、本当に長生きして欲しい。
そして私もあんなお顔になれるように生きて行きます!
追記
今日は一回限りの上映。
コロナの影響で座席が減らされていた為、満席。
私は立ち見。
それでも入りきれないお客様の為に後日もう一回の上映決定でした。
沢山の人に鈴木さんの魅力に触れて欲しいと思います。
鈴木邦男という人物の、“応援ビデオ”と言っていいと思う。
もう少し言えば、“リベラル派”にとって好ましい姿や発言を切り取った映像集かもしれない。
鈴木の思想を、いくつかワンフレーズで示すのみで掘り下げることはせず、批判的にとらえる視点も皆無だった。
テーマは主に2つか。
(a) かつての“武闘派”のスターが、「不寛容や独善に対する、不寛容」という、“民族派”らしからぬスタンスを持つに至った理由、および、現在の活動の実態。
(b) 好々爺とさえ言える、現在の人柄。なぜ多くの人と関わり、特に女性にモテるのか?
ずっと同じことを繰り返し訴えている印象だが、様々に対象や事例が変わるので、冗長には感じなかった。
この作品には、いくつか不満がある。
まず、ほぼインタビューだけで、ダラダラと構成されていることだ。
関連する歴史は、すべて周知のこととして扱われ、客観性な解説やデータはなく、次から次へとエピソードや登場人物が現れる。
また、映画の尺の問題があるとはいえ、“現在の鈴木”を取り上げすぎである。
“オウム関係者”との交流(「麻原三女」、「上祐史浩」、「村井秀夫刺殺犯」)。“左翼”過激派(「東アジア反日武装戦線」や「日本赤軍」)への思い。
鈴木自身が興味をもってコンタクトを取ろうとするのは、このような振り切れた人々であり、“中庸”な存在には興味がないらしい。
そして、“鈴木邦男ガールズ”や鈴木を愛する人々の姿。彼らはみな、鈴木から“正しさ”を押しつけられたことはないと証言する。
しかしその一方で、過去の“右翼”活動は断片的に流されるだけで、鈴木という人の全体像は見えてこない。
「大日本愛国党」。「生長の家」学生運動。
「三島割腹事件」と「森田必勝」への痛切な思いについては、少し尺を割いている。
「一水会」の結成、“新右翼”の「野村秋介」。「赤報隊」の件は、妙に歯切れが悪い。
これでは何のための「鈴木邦男」のドキュメンタリーなのか?
特に、自分の“正しさ”を信じていた鈴木が、そのスタンスを大きく転回させた“失敗”とは何かが、観客には理解しづらい。
この点は、自分も映画では理解できず、上映後の質疑応答を聞いて分かったくらいだ。
帰宅後、「日本会議の研究」(扶桑社)の最終章を読むと載っていた。
鈴木は上映後のトークで否定しなかったので、上記の本は少なくとも鈴木サイドからは真実のようだ。
端的に言えば、内部抗争だ。「同じ考え方をもってたって、簡単に人間は裏切られる」。「同じ人たちを集めて運動するなんて、もうやりたくない」。
貴重な作品だとは思う。
しかし、結局のところ本作品は、「右がダメだと思った時、左翼や宗教の人たちがどういうふうに考えているのか興味が出てきた」と語る、作り手にとって“受入れ可能”な部分を取り上げただけという印象だ。