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緑色の髪の少年 プロット アメリカ 03月07日 1950 台灣上映
赫い髪の女 プロット 日本 02月17日 1979 台灣上映
めんどりの肉 プロット フランス・イタリア合作 02月29日 1964 台灣上映
モノクロームの少女 プロット 日本 08月01日 2009 台灣上映
私の少女 プロット 韓国 05月01日 2015 台灣上映
隣の家の少女 プロット アメリカ 03月13日 2010 台灣上映
少女の髪どめ評論(1)
レティーフ(お茶汲み、炊事係)はイラン人で自分を犠牲にしてバラン(アフガン難民、ナジーフの娘)のために尽くす。またそれが本人は自分を犠牲にしている感覚がないと思う。バランを助けてあげたいという気持ちで、まっすぐにしかかんがえられないから。これが愛だ。
アフガニスタンの難民は貧困生活をしている。レティーフの一年分の給料をナジーフNajaf(の娘はバラン)の家族にあげようとしてサルタン Soltanを通してこの金がナジーフに行くはずだった。サルタンの忠実な誠意、それにナジーブの貧しいものを優先する気持ち。これには参った。レティーフの気持ちと苦労は違った形で人を助けた。誰がまずしいか、まずしいものを優先して施しをあげる文化(一般論?レティーフだけ?)なんだなと思った。最後のシーンは、アフガニスタンに帰ってしまうナジーフの家族(娘のバラン)にはもう会えないという証拠が、雨で消される少女の靴の足跡。それに、バランがアフガンのチャドルで顔をすっぽり被るところがお別れの意味を示していると思う。