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03月08日 台灣上映
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呪術召喚 カンディシャ評論(1)
"Eloim, Essaim, frugativi et appellavi."
ヨーロッパの伝承的悪魔学、グリモア(グリモワール)にでてくる呪文で「エロイム エッサイム 我は求め訴えたり」と唱える水木しげるのキャラをご存じなら、手っ取り早いけど... その彼が、日本では始まりとされる降霊術やエクソシズムには欠かせない結界である魔法陣がこの映画でも登場する。
グリモワールの書はマイナーなホラー映画『ドント・イット』で、オカルト・フォロワーのソロモンが守護天使を召喚する時に登場し、またニコラス・ケイジ主演映画『カラー・アウト・オブ・スペース 遭遇』でも原作者のラヴクラフトが創造した『ネクロノミコン』として派生的に甦っている。
The summoner sees her abominations with their own eyes.
この映画の特徴として、メインキャストである3人の幼なじみのキャラ設定がはっきりとしていて、また彼女らの住む団地が老朽化の上、彼女たちを含めて異邦人も多く、植民地主義以降の、あるいは脱植民地状態のポストコロニアルのスラムを舞台に、彼女たちの関係が、異人種の垣根を超えた庶民的で素の人間同士の繋がりの深さを表している。
ビランである悪魔のカンディシャの立ち位置や彼女が悪魔に魂を売ったいきさつなどすごく分かりやすく、その上、女性でなく彼女たちの身内の男性6人を始末するまでは立ち去らないという設定もラストに何とも言えない結末をいい塩梅で迎えることができるようなシナリオ運びとなっている。
There are two ways to stop her curse.
一つ目は説明したのに...
There is no second way. ってあのね~ぇ!
二番目は言わないなんて、そんな殺生な話って、彼女たちよりも見ている側の方が知りたくなるスレッドなのに⁉
しかも、魔術師(sorcerer)がエクソシストをしたために全生命エネルギーを失って、その夜に亡くなってしまうなんて一体全体、お先真っ暗なお話はどうなってしまうのか?
映画が本質的にミソジニーの社会に直面している女性の集団的怒りを比喩的に表現する為、元カレからレイプされそうになり、心の行き場を失ったエミリがそのはけ口を見出すために信じてもいないカンディシャをまさか召喚できるなんて思ってもみないこところで言い表している。
カンディシャの登場の仕方がありきたりなキャンディマンとの類似性が見られるけれども...
エクソシストものとしても最初は低予算のためか、被害者の殺された後しか映さないチープな映画と思っていると魔術師によってエクソシズムが始まり、その場に立ち会った5人の各々が見る違った景色を表現したところから、そこに、ぬうっと出てくるカンディシャの魔物な姿をぼやかさないでくっきりとまじかに見せるあたり彼女たちとカンディシャの立場のコンセプトがしっかりしていて、その段階からギミックを巧妙に使ったゴアな表現が数段階へ飛躍し、魔女カンディシャが一人を血祭りにあげるたびに背格好や女性から野獣の悪魔へ変身していく過程のヘンゲぶりをスレッドとの調整をうまく合わせるレンダリングがなされている。
“never go with a Black chick” それは “scared of getting AIDS.”
“It‘s genetic, like you stealing cars.” 遺伝子レベルの窃盗癖
映画の元となった民間伝承には、アイチャ・カンディシャが殺した男たちを誘惑する歴史的にミソジニー的で性差別的なサキュバスとして描かれているけれども本作のバージョンのカンディシャは彼女がより性的な形をとる短い瞬間があっても、すぐにヤギのひづめで打ち消し去り、彼女は犠牲者を誘惑せず、単に彼らの前に現れて始末する怪物として描かれている。
伝承では「男性を破滅に導く美しい女性の幽霊」と表現されていても彼女は復讐心に満ちた、血まみれの、悪魔的な古典的スラッシャーとして蘇っている。
ラストには意外な話に時間を費やしている。
その一つは、映画をはっきりと見ていなかった怠慢のせいなのか、逆にそのほうがよかったのかもしれないけれど、女の子と思っていた子供が実は男の子であったために最後の標的になったことや封印されていた第二の解決方法で、呪いを解放し、カンディシャを退散させることで別人がカンディシャの後釜に座り、家族との再会を果たす、言葉にすると意味不明な説明べたな終わり方を迎える... 説明が下手でどうも失礼⁉