デューン 砂の惑星 PART2
プロット
アメリカ
03月15日 台灣上映
ビニールハウス
プロット
韓国
03月15日 台灣上映
RED SHOES レッド・シューズ
プロット
オーストラリア
03月15日 台灣上映
青春ジャック 止められるか、俺たちを2
プロット
日本
03月15日 台灣上映
石岡タロー
プロット
日本
03月29日 台灣上映
成功したオタク
プロット
韓国
03月30日 台灣上映
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SR サイタマノラッパー評論(18)
他はみひろ以外はほぼ知らない人。みひろは元本業そのまま。
話の筋ですが、所謂「やだ見」のオンパレードでした。
「俺たちはヒップホップというイケてる音楽をやってる」と、
これは何デビューというのか知らないけど、
自分の道はこれしかない!と「思わされてる」痛い奴。
仲間も消えて、化けの皮を剥がされた自分には何も残っておらず、
それでも前に進むうちに見つける自分。「やっぱヒップホップ好きだ」
題材はヒップホップでしたが、これは何にでも置き換えられる。
ロックバンドでもそう、役者でもそう、研究者でもそう、アスリートでもそう。
華やかに見えるその裏では、多くの挫折者がいるということ。
それは剰え残酷で、観ているこちらは関わりたくない「やだ見」。
ヒップホップという、日本の中での違和感を用いた事も、
あの残酷この上ない「役所でのライブ」へとつながり、
宇多丸師匠やラッパー諸氏にはグサグサ刺さりまくったのだろう。
MCイックを観てると、
「桐嶋、部活~」の野球部のキャプテン想い出すわ、切ない。
これはホントに続きが気になる。あいつらのその後が気になる。
この映画の最大の魅力はイックとトムのキャラクター性の素晴らしさにあることは間違いないでしょう。二人とも外見や言動で表面的にラッパーを気取ることによって虚勢をはり、自分を大きく見せようとしていますが肝心の内面は空っぽもいいところ。女にはモテないし意気地はないし、喧嘩も弱くておまけにニート。この外ヅラと内面の痛々しいアンバランスが二人をしてある人にとっては感情移入しやすく、ある人にとっては笑えるキャラクターたらしめていたように思います。ヒップホップに対する態度にも彼らのキャラクター性は反映されています。彼らはけっして自分たちの日常を歌詞にすることはありません。代わりに「なんかスケールの大きそうな感じのする」政治や国際問題の、雰囲気だけをなぞったような歌詞ばかり作った挙げ句、俺たちのヒップホップで世界を変えるんだと戯言をぬかす。端的に言えばヒップホップという魅力的な(ここに異論をとなえる人もいるかもしれませんが、ここではひとまず魅力的ということにしておきましょう、少なくともイックとトムはそう思っているわけですし……)アイコンに寄りかかってダサくて、空疎な自分たちの日常から逃避しているのがイックとトムだといってよいと思います。
お話はラストシーンの前までは一本調子に淡々と進んでいきます。イックとトムはそのダメさ故に家族からも、AV女優からも、「SHO-GUNG」の仲間からも「雑魚キャラ」の烙印を捺され続けるわけです。ラストシーンまでのこの映画の出来は完璧でした。上述の2人にブロ畑(実弾)の息子マイティーを加えた3人組は、中身はしょうもないのにラッパーとして格好つけているというギャップをうまく笑いに転換していたので、結構笑えました。(特に市役所で大人達のローテンションなつるし上げに完全に意気消沈するシーンは最高)その一方で彼らの痛々しさは女にモテず、友達も少なく、いつもクヨクヨしてばかりいる自分の反映のようにも見えて彼らのダメさに共感できる部分も多々あったわけです。
そしていよいよラストシーン。多くのレビューで称賛を受けていた場面ですが、結論から言えば僕はイックの勇気に胸を打たれることも、彼のラップに自分の人生を重ね合わせることも一切できませんでした。何故か。それはズバリ
「オヤジ達うるせーーーー!」と思っちゃったからです。イックの命がけのライムを茶化すトムのバイト先のおっちゃんたちがものすごいノイズになってしまって、イックが痛々しい存在にしか見えなくなってしまった……。果たしてあのオヤジ達は必要だったのでしょうか。そしてあんな凄まじいノイズの中でも純粋にイックのラップに集中できた人たち(≒ラストシーンを大絶賛している人たち)はなんてたくましい人間なんだろう。そんなしょうもない考えしか浮かんでこないほどに肩すかしを食らったラストシーンでした。
オッサン達、僕の感動を返して下さい (`ヘ´)
埼玉県は東京都の北に位置する県で、なまりもほとんどなく、国と国との関係に例えると、東京の植民地的なところです。
昔から「ダサイタマ」などと言われ、東京の人からは一段低く見られています。
でも他の地区のように、反抗したり、ライバル視したり、自己主張をするわけでもなく、なんとなく東京に対してコンプレックスがあり、関東以外の地方に行った時は、「どこから来たんですか?」と聞かれると、「東京の方から来ました。」などと言ってしまう県民です。
そしてこの映画の舞台の深谷市(映画ではフクヤ市)は埼玉県の中でも、一番埼玉っぽいところで、東京の通勤圏からは、ちょっとはずれており、ねぎの生産(映画ではブロッコリー)で有名です。
その埼玉県人が、他の地方都市ならいざ知らず、深谷でラッパーやってたら、この映画のようなイタイ感じになりそうで、妙に現実感があるし、なまりがないから、ラップミュージックにすごく合う。
なおかつニートだから東京で活動するわけにもいかず、そこがまた笑えました。
埼玉県人+ラッパー+ニートという組み合わせが、実に見事で、たいへん面白かったです。