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二百三高地評論(15)
・戦争は国と国じゃなく人と人の戦いなんだというのがよく分かる。さすが笠原和夫
・仲代も丹波も小声で話すが雰囲気だけで内容が分かるな
・前線でのロシア側とのやりとりがよかった
・あおい輝彦すごい
邦画の戦争映画の中で、唯一鑑賞出来た映画です。
名もなき兵士から見た戦争の惨たらしさ。軍司令官の苦悩。要所でインサートされる家族たち。そして、元老伊藤を描くことで日露戦争全体も描き、映画全体の分かり易さと完成度を高めます。
乃木を演じる仲代達矢の演技が秀逸です。ランプを消し暗闇で震えるシーン、児玉に「木石じゃないぞ」と怒りをぶつけるシーン。素晴らしいシーンの連続でした。
また、少尉が変貌していく姿も心を打ちます。トルストイを敬愛しロシアに愛着を持つ少尉が、戦闘を繰り返すことで形相が変わっていく様は、戦争の恐ろしさを思い知らされます。
戦闘シーンは邦画レベルを超越した迫力で、テレビ鑑賞でも圧倒されるものでした。やや芝居がかっていたり、ジオラマがチープだったりするのが少々残念ですが、映画全体の評価を損ねるものではないように思います。
戦争の酷さをこれでもか・・・と描きながら、最後は勝利で終わる日露戦争は、私にとっては鑑賞出来るギリギリのものでした。
公開直後は、「戦争賛美」と批判されたそうですし、どうしてもナショナリズムを駆り立てる映画であるのも事実です。しかし、私の中では反戦映画の最高峰だと思っています。
ただ、忘れてはならないことが2点。この戦争ではロシア兵士も数多く死傷しています。旅順包囲戦では、日本兵より多くの兵士が亡くなっています。欧州からアジアに侵略してきた兵士達ですが、彼等も祖国の為に戦っている点では、日本兵士と変わりはありません。
そして、この戦争は朝鮮・中国の国土で行われていたこと。当時の世界情勢を考えると仕方ないことではあるのですが、今の感覚では「日本もロシアを批判出来ない」戦争であることも理解しておきたいです。
以前観たときは、この伊藤の姿勢にも感動したものだが、今回は、児玉源太郎がのちに戦場で流す涙とは性質が異なるものに思えた。
この間に、司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んだり、伊藤の他の書物での論評などから、映画で描かれているのが稀代の人たらしであるように見えた。
児玉や乃木希典が流す涙は、自らの重責に押し潰される人間の顔に流れ落ちる。伊藤のそれは、人の気持ちを動かすために頬を伝う。
実際の伊藤の心中など誰も知るよしもない。ただ、そのような彼の偉大なるインチキ野郎ぶりを、これまた本人がどのようなつもりで演じているのか、推し量りかねる森繁の怪演である。
森繁、丹波、仲代。怪優たちを観るだけでも、価値がある一本だ。
子供たちには、今をときめくアイドルグループは、この乃木希典こそがルーツであると伝えておいた。
どんな人と見る・・全てOK
感動・・考えさせられる
ハンカチ・・要りません
DVD出たら・・観ます
他人には・・勧めます
総評・・
今、何事も無かったかのように平和な暮らしに浸っている私たち。
この平和の礎に、私たちの多くの祖先の血が流されたことを決して忘れてはいけない。
戦争はけして起こしてはいけないが、それを隣国が許してくれない。
東南アジアは欧米に蝕まれ、中国は欧・ロシアの進行で朝鮮半島まで・・・。
朝鮮半島がロシアの手に落ちたら次は日本。
日本まで落ちたら、アジア圏は全て欧米露の植民地に成り下がる。
そういう時代背景をもう一度日本人として勉強し直さないといけない。
靖国神社も含めて・・。
ストーリー: 85
キャスト: 80
演出: 85
ビジュアル: 75
音楽: 75
戦場における一人一人の兵士たちの苦しみや心身の傷だけでなく、戦争に来る前のそれぞれの事情。そのようなことが丁寧に描かれている部分が、戦争の生臭さや残酷さをうまく表現している。風景も本当に寒そうで厳しそう。例え戦争などしていなくても、死ぬかもしれない戦いを前に厳しい寒さに耐えている兵士を見るだけで、十分にその辛さが伝わってくるというもの。さだまさしの悲しい歌がそれを盛り上げる。
さて、乃木神社というのが軍神として乃木希典将軍を祭った神社だというのを知ったのは、物心ついたころ。神社にまでなるのだからたいそう立派な将軍だったのだろうと、なんとなく昔は思っていた。彼は清廉な人格者だと言われる。
しかし将軍としては、この映画のように準備万端の鉄壁の敵要塞に、正面からただ貧弱な武装の無力な歩兵を突撃させ続けるという、要塞攻略戦において最もやってはいけない作戦を採用した。そして多くの将兵をひたすら無駄に死においやったという、とてつもない愚鈍な駄目将軍。まさに一将功成りて万骨枯るである。近年は彼の軍功や能力について疑問を投げかける評価の再考の動きがあるようだが、それも自然なことであろう。
そんなことがあるから、どうも乃木将軍が綺麗に描かれすぎているなと、見ていて少し感じるのである。結局児玉源太郎が要塞攻略用に28センチ砲を本土から搬入して、目標を要塞攻略から二百三高地占領に変えたからこの戦いはうまくいったのではないか。現実には失敗し続けても結局乃木将軍続投となるのだが、映画でも乃木ありきで設定されすぎているように感じた。最後の奏上の場面でも、将兵を失った辛さはわかるのだが、誰のせいでそうなったのかと思ってしまう。
歴史の解釈は色々なのでどれが正しいとは言えない。本来ならば歴史は歴史、映画は映画で別物。おそらく乃木将軍も自分の能力以上の責任を背負わされた、被害者の一人だったのかもしれない。彼が苦悩したであろうことはとてもよくわかる。児玉も敵を吹き飛ばすために味方ごと砲撃するような決断をしている。戦争の勝利の影で、良いか悪いかとか有能か無能かとかを別にして、簡単に失われていく兵士の命と同時に、そのような将軍の苦しみも描きたかったのだろう。だがどうも彼の役柄の設定の良さが自分の考えとは異なってあまり好きになれず、捉え方の違いでこの部分は少しだけ気になった。